近くにひっそりとたたずむ八幡神社でのこと。
私以外に誰も人はなく、境内で掃き掃除をしている音だけが
聞こえていました。
御賽銭箱に5円玉を入れようと思った時、その御賽銭箱の上に
コーヒーの空き缶がのっかってました。
お祈りする前に、「あ。」と気づきながらひとまずお祈り。
…気づいていながらこの空き缶、片付けないなんて
きっと良くないなー。
そう思いながら、ひとまずお祈りし終えて、もう一度考える。
…この空き缶、片付けるべきか。 私が片付けるべきか。
…でもはき掃除してる音が聞こえるから、そのお坊さんがきっと
気づいて近くのごみ箱に捨ててくれるはず。
…私がわざわざ持っていかなくても良いよね~。。
と色々と考えを巡らせた挙げ句、
でも持って帰らなかったら後悔するだろうな。
その思って離れる寸前、「えいっ!」と手をのばしてその空き缶を
手にしました。そうしたら、思わず声が出てしまいました。
「あ・・・っ!」
空き缶と思っていたコーヒーは、空き缶じゃなく中身が入っていたんです。
しかもまだ温かい。
…お供え物、だったんですねぇ。
そしてふわぁっと心が温かくなりました。 感動いたしました
慌てて戻して帰る道すがら、手に取ろうとして良かった!
ゴミではなく、それがお供え物だって事に気づけて良かった。
とすごく思いました
結局何もしてないのに、すごく得した気分~
「アートは特別なものではなく、
日常の生活にもっともっと身近になったら良いのに。。」
と書いていた矢先、友人と話をしていたら、
「芸術なんて特別なものじゃなく、言ってしまえば
地球の存在自体がアートなんだよ。
だって地球ってearthって書くでしょう。
ほら、真ん中に“art”が入ってるでしょう。」って。
それは、日常にそれほど芸術が溢れているのに、
それに気づくか気付かないかの話って事なんですね、
きっと。
同じものを見て、同じ話を聞いてもどこまで感じて
何に気づくかはその人次第。
だから感性は、繊細でいて鋭くて、何にも染まらずキラキラに
磨かれていた方が、世界はもっともっと豊かで美しく見れる
って事なんだなと思いました
「芸術は爆発だ!」の岡本 太郎氏の大きな作品、
『明日の神話』が渋谷駅に招致されました!!
岡本太郎氏が、メキシコの地で原爆さく裂の瞬間を描いた、
縦5.5メートル、幅30メートルに及ぶ巨大壁画作品です。
いつやってくるのか知らず、渋谷駅をいつも通り歩いていたら、
何だか渋谷駅の空気が違う、雰囲気が違う…変な違和感。
「なに?何?」 と思ったらそこにこの巨大壁画だったんです。
幅30mもの岡本太郎氏の作品がそこの空気を一変させて
いたんです。 いつもがやがやと混沌としている渋谷駅が、
不思議なまでに澄んでいて、厳かなまでに神聖化されていたんです。
…さすが岡本太郎氏。 さすがアートは偉大なり。
アートは美術館だけで観るものではなく、一部の人の趣味に
収まるのではなく、ハイソな人たちのたしなみな訳でもなく、
全ての人に平等に浸透して然りと思います。
そしてアートは人の心を豊かにする。
改めてそう感じました。
日常にアートを取り入れる事が苦手に見える日本人ですが、
江戸時代の粋な生活を見ると、実はとっても芸術と身近に暮らして
いたことが分かります。
浮世絵、歌舞伎、お能、日本舞踊、唄、そして最近話題を呼んだ
尾形光琳も江戸時代の人です。
なので、アートは特別なものではなく日常の生活にもっともっと
身近になったら良いのになと思っていました。
だから岡本太郎氏の作品が美術館ではなく、駅ビルに招致された事、
いち渋谷ユーザーとしてとてもうれしく思います
-お前なぁ、このままやと2000%成功でけへんで。-
タバコガンガン吸いながら、メタボなお腹をごろんと
させて、関西弁で語る奇妙なガネーシャストーリー。
続けざまに3人もこの本の話をしたので、これは読めって
ことね、って思って読んでみました
「電車の中で決して読まないように。」
という忠告を無視して、表情を無にして読んでみましたが
なるほど、面白いっ!
くっくっく・・・と笑いたくなる関西人のエッセンスが入っていて、
内容もとても分かりやすいです。
自己啓発本は山と読んでいる。だけど成功しない…。
と言う主人公設定も現実的で良いんですよ。
そしてこの本の話をしていたら、こんなサプライズプレゼントを
いただきました
とても美しい私の夢をかなえるゾウです
でもあかん…、こんなん酒飲んでグチってまうやん、自分。。
と、関西弁で話したくなるのもこの本の魔法です。
真面目な話を真面目に語る、私もその口ですが、、そういう時にこそ
ユーモアや笑いを入れて語れるって素敵です~
もう8年前になります。
フランス語も英語もままならない状態で果敢にも
パリに行き、仕事に挑戦していた3ヶ月があります。
右も左も分からず振り払われる日々を過ごしながら、
事務所の近くにあったマドレーヌ寺院でいつも空き時間を
過ごしていました。
パリは外食がとても高いので、お昼や軽食はテイクアウトの
サンドイッチを買って、柱のたもとに座って食べたりしてました。
そして時に本を読んだり、中に入ってじーっと深く色々考えてみたり…。
数え切れないほどこの寺院を訪れ、いつも温かく見守ってくれていました。
パリには観光地がたくさんあるので、ここもパリど真ん中にありながら、
意外と人が少なく、その広い空間は厳かな雰囲気で訪れる人を
優しく包み込んでくれます。
そして「今日が最後だな。」
そう思った日に、いつもより長くそこにいて、感謝の気持ちを込めて
このひとつのネックレスを買いました。
表:マリア様が横を向いてお祈りをしている姿。
裏:マドレーヌ寺院の姿。
8年経った今でも、この時にどんな気持ちでどんな思いで
どんな願いを込めて、このネックレスを手に取ったか鮮明に
思い出せます。
そしてつける度にそっと思い出すのです。
あの時に経験した全てが、未知の苦悩の連続で、どうしようも
なく打ちひしがれていた思いを必死で取り繕って立っていました。
それをつける度にそっと思い出すのです。
そしてその時期があるからこそ今がある。それにそっと感謝しています。
ジュエリーには思いや願を刻印できる、そんな不思議な力があると
思います。
だから、いつの時代も魅了されてやまないのかもしれません
1度目は悲しみの涙。
そして2度目は感動の涙。
10月の頭に「追悼」というタイトルで紹介した彼女から、
お便りをいただきました。
http://mishiro.blog.shinobi.jp/Entry/5/
フィアンセを交通事故で亡くしてから約2ヶ月半、
彼女は前を向いて歩いていました。
悲しみは癒えないけれど、私が悲しみ続ける事を、彼は
望まないだろうから、私は前に進むのだと…。
留学中から、周りの雰囲気をがらっと変えてしまうほど明るくて、
いつも何かを計画し、楽しむことを忘れない。
そして人一倍成績も良かった尊敬する彼女。
(クラスのレベルが全く違ったので…、私は出会えた事自体奇跡。。)
今は彼との思い出の場所、彼が行きたかった場所をそっと家族で
訪れている。 サーフィン好きだった彼のために、追悼して海に入る
義兄の姿がとても印象的でした。
そしてこれからは今の仕事を辞め、世界を旅しながら英語教師を
するという、彼との夢を歩んでいくのだと書いてありました。
そういえばフランスに来る前、モナコでイタリア家族の所に住み込み、
2年間その息子に英語を教える仕事をしていました。
そしてなんとその地は、アジアの大都市香港、ソウル、または東京!
が良いと書いてありました。
来年、もしかしたらあなたに会えるかもしれないねと。
ここに辿りつくまでに、どれほどの事を考えどれほど悲しみ
どれほどの涙を流したのだろう。
それを想像しながら、お便りを読み、満面ではなく朗らかな笑みの彼女の
写真を見ると、ふと涙が流れてきました。
それは悲しみからではなく、彼女がどんな時も前を向こうという意思を、
こんなに辛い時にも発揮する、彼女の真の強さに感じたから。
自分の境遇をふと離れ、彼女に感動し続けてしまいました
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを近親のせいにはするな
何もかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
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「自分の感受性くらい」 詩人 茨木 のり子
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携帯に転送して、ふとした時に読み返す詩です。
最後に「ばかものよ」と言ってしまう愛嬌もある、
茨木 のり子さんの強さと温かさのある詩が、私は大好きです。
また病床に伏した旦那様の介護をし、旦那様に「辛くないか。」と
聞かれたとき、「いいえ、惚れておりますから。」と微笑んだと言う。
その姿がとても美しい。
そして私に、ぱさぱさに乾いてゆく心があり、気難しくなってきて、
苛立つ時に、彼女の詩をそっと心で読むのです。
人は至らないものです。私も至らないものです。
生きているうちに「自分は至った!」と思う事もないでしょう。
でも至らないなりに考えて悩んで苦しんで、楽しんで笑って喜んで、
出来る事をしたいと思います。
それが時にうまく伝わらなくても、汲み取れなくても、それを
受け入れられる人にはなりたいものです。
今年の頭、九州を旅行した時に九州在住の友達に、
お勧め!と、連れて行ってもらった何とかの滝。
松嶋奈々子さんのお茶のCMで使われたらしいと言う、
知る人ぞ知る山間にあるこちらの荘厳な滝。
更になんと滝の下がえぐれていて、滝の裏側を歩けるように
なっているんです!
太陽の光を反射して、滝のしぶき全てが輝いている
自然が作り出す神秘ってスゴイ・・・
ただただ言葉を失って佇むこと数十分、ミストのようなしぶきに
じんわり服も濡れつつ、あまりの清々しさと神々しさをただただ
感じ続けてすっかり魅了されてしまいました。
そして、今回そんな記憶もうっすらな頃、また突然
違う滝の裏側に行くチャンスに恵まれました
大きさは九州のよりは小さめだけれど、こちらも負けず劣らず素敵でした!
場所はたぶん、福島と茨城の県境あたり。
天気がとっても良くて、滝の流れ越しに空を仰ぐと、太陽の
光と影、透ける緑のその美しさに、光のように輝く水しぶき、、
その美しさったら眩しすぎて、見続けていられないほど。
そして、ザーッ!っという水しぶきの轟音の中に澄み渡る心の静寂…。
心洗われる感じがいたしました。
滝って、良いかも!
滝行って、、ちょっと良いかも!ってふと思ってしまいました。
全く出会えるなんて思っていなかったのに、思わぬ出会いで、
今回ですっかり“滝の裏側”に魅了されたわたくしでした
先日、麻布の隠れ家的レストラン「はれるや」に行ってきました。
神谷町から歩いて8分、地下にあるお店は静かでいながら、
行ったランチ時ほぼ満席。
赤と黒を基調とした和モダンなお店です。
国産黒毛和種仔牛を使った気軽なランチコースは、
デザート以外を全部ワンプレートで持ってきてくれて、
とてもボリューミーでしかも色んな種類が沢山入ってこんな感じ♪
前菜のサラダとサツマイモのスープ、仔牛のラヴィゴットソース添え。
そしてひと口のバターライスフにランスパンに、バター2種類。
しかし、ラヴィゴットソースって何ですか…?
と聞いたらアンチョビとガーリックと、野菜の何とかかんとか・・・、
忘れてしまいましたが、歯ごたえのあるソースで、酸味が少しあり
とっても美味でした。
しかもこちらにアップルパイのデザートにコーヒーがついて、
更に麻布という場所でありながら、、、お値段なんと1,100円!!
とってもリーズナブル~
一緒に行ったお友達が、「はれるや」さんと知り合いだったので、
連れてきてもらったのですが、そうでもなければまず
見つけられない、まさに“隠れ家”です。
誘ってくれたお友達に感謝です
「THE MISSING PEACE」東京展@代官山ヒルサイドテラス
を観てきました。
60人のアーティストは画家にとどまらず、作品は観る他にも、
聞く、触れる…、平面・立体さまざまな展示がありました。
60人の全く異なる鋭い感性が、ひとつのテーマのもとに集まって
いるので、その迫力は見ごたえ十分です!
可愛らしいダライ・ラマの足の画を描いたアーティストがいて、
「なぜ、足?」と思ったら、みなダライ・ラマに会うと深々と
お辞儀をするため見えるのは足、だからだそう。
なるほど
また壁一面の画面に並んだ120人5宗派の僧侶がそれぞれ、
読経している言葉が滝のように流れるビデオや、i-podを20台ほど
円に並べてそれぞれが音楽を奏でる作品や、
空気で膨んでいる涅槃像などがあり、どれもこれもインパクトのある
作品ばかりでした。坂本龍一さんも…。
既にロス、NY、シカゴなどを経て、これからベルリン、ロンドン、
ソウルなどまだまだ世界中を巡回する展示の、唯一の日本開催です。
ダライ・ラマの言葉も綴られていてとても刺激を受けました。
例えば、、
Happiness is not something ready made,
It comes from your own actions.
- 幸福は用意されているものではありません。
あなたの行いによりもたらされるもの。 -
など。
アートは宗教であり哲学であり、その表現方法のひとつと改めて実感し、
分かる分からないが重要なのではなく、感じるか感じないか、好きか
嫌いかであり、ずっと直観的で良いんだと思います。
音楽や絵画などのアートが放つメッセージは、言葉よりもさらに曖昧で、
受け取る側の捉え方によって、かなり意味が違ってくるから。
でもそれでいいんだと思います。言葉ひとつ、いつだって思いどおりに
伝わらないから。。
東京ミッドタウンにも作品を置く、私の大好きな彫刻家安田 侃さんも
「感じてください、その感覚を養ってください。感性は磨くものですよ。」
とおっしゃっていた。
なのでこの機会に、あなたも感性の赴くままにダライ・ラマ14世と
向き合う61人目に、なってみませんか?
PEACE STARTS WITH YOU.
をコンセプトに2009年「miyoumu」立ち上げ。
日本の絹糸やタイのカレン族シルバーやアンティークビーズなどを使って、シンプルで心地よいアクセサリー作りを志しています。
2-5歳パリ郊外、
23-25歳南仏Aix-en-Provenceで過ごした事で、
普段から自分が、そして自分の視点が日本人・アジア人であることを意識する。
そして今まで見てきた世界と生活してきた日本のそのお互いの良い所を融合したい。
更に、私があなたのために何が出来るか。
ではなくあなたが感じている何かを私なりに引き出す。
大学卒業後に働いたインテリア事務所で、そんな仕事に出会う。
渡仏後、ジュエリーonlineサイトで見えないお客様を相手に日々奮闘し、
2009年「miyoumu」立ち上げ今に至る。
※ご連絡はinfo @miyoumu.comまでお願いいたします。
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