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ひとりからみんなへ、みんなからひとりへ。途切れる事のない人の輪を世界へ。
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2008/10/29 (Wed)

12歳くらいの時に初めて女性誌「Ray」を買った。

…でもそれは、それこそバブル真っただ中の女子大生向けの

雑誌で、知らずに買ってしまった。


「私も大人になったらこんなボディコン姉さまになるのかしら。。?」


と思いつつその後しっかり路線を修正し、王道のセブンティーンと

プチセブンを隔週必ず買い、たまに、内田有紀が看板モデルだった

ピチレモンを買う…。


そして、中学校後半から高校にかけて、今はなきmcシスターと

当時Shihoや小雪が看板モデルだったモデル黄金期のnon-no。


その後大学に入り、一気にファッション、モード系まで幅を広げ、

OL系もOK!気づけば女性誌をだいぶ網羅していた。

唯一の弱点だったギャル系も前職でcancamを購読し、たぶん制覇。


なのでふらっと本屋に立ち寄って、一通り女性誌を見るとそこで

簡単に女性誌コメンテーターになれる自分がいる。

置かれている雑誌でその近辺のターゲット女性のジャンル・年齢層は

ごく自然と分析するし、雑誌の配置、おまけの内容、表紙に使用されている

フォント、色、モデル・女優、言葉…etcは細かく鋭くチェック。

雑誌をぱらぱらとめくり、雑誌毎の強みも探る。これもごく自然に。


今の流行が分かる。 時代が分かる。 (言いすぎ?)


学生時代に服飾・アパレルの友達が多かったせいもあるのでしょう。

みんな「ファッション」「美」「最新モード」のアンテナが異常にするどかった。

流行に乗らずに、流行を知る。


そして今、紙媒体大恐慌時代、一体どうやってそれを乗り越えているのかと、

いち読者の興味として分析を始める。 これもごく自然に。


そして、私はマリクレール生駒芳子編集長はキーパーソンだと思っている。

25e30b69.jpeg






もともとこの人に興味があり、偶然当たった銀座アップルストアでの

講演会に行って、ただただ「すごい・・・!!」と感動して帰ってきた。

その時は、これからは女性はワンピよなんて熱く語っていただけ

なんだけど、女性の大切さや重要さを女性誌を通して、ファッションや

美を通して、深~く深~く人生や環境まで説いている。

とにかくスケールの大きな方なんです!

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2008/10/28 (Tue)

石にひと目惚れして購入したは良いけれど、

サイズが大きすぎて滅多につけないムーンストーンリングです。

やっぱり素敵…と思って載せてみました

081028_0914~0001-0001.jpg










ムーンストーンの中でも、ロイヤルブルームーンストーンとか

ホワイトムーンストーン系の石かと思います。

普段は透明と乳白色の間のような輝きだけど、

角度を変えると青白い炎を揺らめかす、神秘的な輝きを

放つ不思議な石です。

古代インドでは月の宿る石として崇拝されていたそうです


しかもこちらは石も大きめで質も良いので、その青白い

シラーがしっかりと出ていて、見るたびに癒されます


いつも他のリングを選ばれ、先ほど書いたように出番は

滅多にないけれど、大切なリングです


なので、せっかくならサイズ直しではなく、リメイクして

使いたいと思ってます♪
2008/10/27 (Mon)
一年半くらい前に、一人日本で会社を立ち上げている

アメリカ人と、友達を通して知り合いました。

3・4回しかお会いしたことはないけど、日本語と英語混じりの、

会話でいっつも、

「何やってるんだっけ?」 と聞いてきて、次には

「やりたいことは何?」 と聞かれて、

最後には必ず、

「You can DO IT !! DOO IT !! DOOO IT !!!!」

と力強く言ってくれる。

一回会うと大体50回は言ってくれる。


と言う事はすでに150回は言ってもらえてる


最近、めっきりご無沙汰だけど、すごく力強く、

「You can DO IT !!」 と握り拳を作って言って

もらった事を、今日ふと思い出した。

 

「YES WE CAN!!

CHANGE WE NEED!!」

そしてこれは、オバマ氏のセリフ
2008/10/26 (Sun)

思い立って突然、友人宅でお気軽ホームパーティーしました


オーガニックパスタで作る、新鮮バジルのジェノベーゼと、

南仏トマト煮込み料理ラタトゥイユに豚を入れた“トン”トゥイユ。

096ad884.jpeg










わたし、ほぼ何もしていませんが…とっても美味でした


ジェノベーゼのソースは、材料をミキサーで混ぜて、茹でたて

パスタとあえるので、敷居が高いと思っていたけどこれは

気軽に作れるかも!

ちょうどベランダでバジルを育てたいと思っていたから、

ぜひ作ってみよう 
 

2008/10/25 (Sat)

身体を壊したのもあり、改めて食の大切さを思い知りました。

やっと最近、ものの味がするようになってきました。

ずっと味覚まで失っておりました。


「美味しい


って心から言えた~って嬉しくなりました。

6bb307e7.jpeg








もともと米食がちょっと苦手で、お椀一膳食べきることは

ほとんど無いんだけど、今回を機に人と会う時以外は

出来る限り自炊、更に米食に切り替えました。


そんな折、ちょうど親しい友人が管理栄養士で小学校の

給食献立を考える仕事をしていて、話を聞くと最近の子供は

想像を絶する食環境で、“食育”という言葉が出てくる意味がわかった。


1. 食にそもそも興味がなくて、学童の肥満と痩せが多くて極端。

2. お弁当持参の日に、コンビニ弁当を買ってくる。

3. 共働きが多く食事を囲む機会が少なくて、マナーはもちろん、

  家族のコミュニケーション不足で、心が育っていない。

4. ませていて、ダイエットをしている。

5. 飽食の時代を生きた親のもとで育っているので、

  残すことに何の罪悪感もない。


友達が食糧価格高騰の中、必死で考えた献立も虚しいほど

戻ってくることもあるそう。

聞いているだけで想像以上の実態に心痛くなるけれど、

肌で毎日感じている彼女の心境はどんなもんなんだろう。。


そして、ふとタイのプーディン村の小学校を訪れさせてもらった時の

事を思い出した。

一緒に給食を食べさせていただいたのだけど、そこは近所の

お母さんが当番で給食を作っていて、お皿は子供たちがみんな

自分で洗っていた。

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IMG_1233.JPG








ジュースを配った時も、みんな手を合わせてお礼をしていた。

食に対する敬意、大切にするという気持ち。

そしてみんなで食を囲むこと。

当り前の事が当たり前に行われていた。


当り前なことだけどそんなことなんじゃないかな、教育って。
2008/10/24 (Fri)

先日美術館に行き、絵本コーナーを歩いていたら奥に、

「児童文学研究室」なるものを発見し、中に入ってみました。

壁一面に研究本や持ち出し禁止のレア本が並んでいて、

最近読んだ小説と、子供のころの国語の時間の詩の授業を

思い出し、

「子供たちの書く詩、子供たちの読む詩ってどんなんだろう?」

と疑問に思って立ち寄ってみました。


そしたら、持ち出し禁止の本にこんな素敵な装丁を見つけました。

IMG_0120.JPG








こちらは国内海外を問わず、子供向け、子供達の書いた詩が

沢山載っていて、読んでみたらビックリ。

「大人のそれと何が違うの・・・?」 と思うほど、良く考えられていて

更にすごく考えさせられるものが多かった。


題材が、大人の詩よりも日常的でシンプルなものが多いけれど、

私たちにとっても当たり前に見える日常を、全く違う視点から

観察しているその発想力(子供たちにとっては何てことないにしても)、

私たちが見ることもしなくなった日常の隅々までを、改めて振り返させる

その驚きの問いかけ。


思わず武者ぶるいがする思いでした。


内容はここで紹介するほど覚えていないのだけど、、

「ぞうさんぞうさん おはながながいのね♪」を作った、

詩人まど・みちお氏の漬物石を題材にした詩は妙に感心した。


漬物石について深く深~く考えた詩。


しかも、分かる分かる。その気持ち!と納得させられてしまう

その説得力…。 一体あれは何なんだろう。


そして、これらの本の裏を見ると目を疑うそのお値段、


¥1.50
2008/10/22 (Wed)


皇居を2周10キロを走りました。


ランナーの集まる銭湯の出入り口で、今日は

雑誌FRAU「走る女は美しい。」のキャンペーンを

行っていてTシャツをタダでいただきました♪


しかし小さめとはいえ胸元に「走る女は美しい。」と描かれると、

「私、走ってるから美しい!」と言いながら走る事に……?


そして今日ビックリした事は、ゆっくり走ってる女性の横を、

7cmくらいのヒールブーツを履いた女性が、腕を振って

並走ならぬ並歩をしていたこと。

更に服装もタイツにデニムスカート。。


そして更にビックリした事は、10分後位に私たちがクールダウンで

歩き始めたら、そのブーツの彼女まで走っていたらしく、

颯爽とその二人組に追い抜かれたこと。。


カツカツ言わせて皇居走る人、初めて見ました!


マラソンは30分くらい走ると、頭の血液がブワッと流れる瞬間があり、

走り始めより呼吸が安定してくるので、とても心地いい。

しかも友達と喋りながらだと、のどは渇くけど更に楽しい。


「整体の感じ」 野口 晴哉 著

駆ければ心臓はある。

食べれば胃袋はある。

排便したくなれば肛門はある。

しかしその時以外はない。


体がないのが整体の感じです。


自分の足が重かったり、胃袋が気になったり、

体が意識されるような時は整体とはいえません。


身体だけでなく、頭の中も、心身のことが気にならず、

無になって自然の動きに動いていることが生命の

正常な状態です。


無病だから整体だという考え方は形式的に幼稚です。

 {本文引用}

 

2008/10/21 (Tue)
深夜2時、寝付けなくて携帯をいじりながら今後の

予定をたててみた。

ふと気づくと2037年までの約30年。


いろんな夢を事細かに書いていたら、結構長い

予知日記が出来上がった。


その頃にはいい感じのおばちゃん、おばあちゃん?

が出来上がっているかな。


私は、常々年を重ねることはウェルカムでいる。

シワもシミも人生の年輪。素敵だと思う。

日よけも大事だけど、思いっきり太陽の下で遊んだ

思い出、その時の表情こそ大切で、美しさだと思う。


そしてふと母の笑顔を思い出した。

目の両尻が見事に下がる三日月目と、微笑みジワ。


「人生に起こる出来事に何一つ、無駄なものはないのよ。」


そう微笑む事が出来る2037年を目指そう。

顔のパーツは関係ない、その表情に美しさを。
2008/10/20 (Mon)
16の時、洋楽も邦楽もしっくりこなくて、

「私は一体どんな音楽が好きなんだろう?」と思っていたころ、

表参道のレコード店の棚で出会ったAdiemusのアルバム。




洋楽なんて全く分からず、何を買っていいのかも分からないのに、

このCDだけは私に訴えていた。確かに光っていた。

鈍感なので、何度か手を放したがどうしても忘れられず、

悩んで悩んで買うことにした。


そして私は、私の探していた音楽に出会えた。

人の声は楽器の一部であり、誰が歌っているのかは関係なく、

何を歌っているのかも分からない。(enyaと書いてあるけど。)

でもそこにあるのは何千年も受け継がれてきたリズム、躍動感。

心の奥底に響く一筋のメッセージ。


それからモダンにアレンジされた伝統民族音楽を貪るように聞いた。

「好きなアーティスト誰?」って聞かれて、話が続かなかった事は

山とある。でも今、そこに私のやるべきことの原点があるような

気がしてきた。


その時、自分の魂が揺さぶられる音楽がどのジャンルに属して

いるのかなんて、全く興味がなかった。

でも、この映像を見て「あ、そうだったんだ!」ってなんか思った。



私はこのような場所に行ったことはない。

写真や映像で見たり、話を聞いたことしかない。

でも伝統や民族を大切にしている地域が発するものが

大好きである。時には全身が逆立つほど鳥肌が立つ。


それはアフリカだけじゃない。

ケルト音楽もそう、中国の胡弓も日本の和太鼓も、

スコットランドのバグパイプも…、


私は大好きである。
2008/10/19 (Sun)

あふれ出る情報社会の中から、

必要なものを選び深く深くじっくり身につけたいと思う。


聞恵にあふれ修恵のない人、

修恵にあふれ聞恵のあまりない人もいる。

今の時代、話題として聞恵も必要かもしれないけれど、

本当に必要なものを、自分に問いたい。。



・聞恵(もんえ) ・・・ 聞いたり見たりしただけの知恵で、情報を脳に

       インプットした段階の知恵。この状態で、他人に

       そのまま伝えるのは知ったかぶり。

・思恵(しえ) ・・・ 見聞して得た聞恵を、ひとたび自分の熟慮の

       フィルターに通した知恵。自分の持っている見識と

       照らし合わせて使う知恵。聞いたこと、見たことを

       鵜呑みにしていないこと。

・修恵(しゅうえ) ・・・ 聞恵・思恵までの知恵を実際に実践してみて

       その結果を把握した知恵。実際の社会で一番役に立つ知恵。
2008/10/19 (Sun)

良くない方向に進んでいると思ったら、ぱっと一回止まること。

あなたは責任感が強いから頑張りすぎるけど、

それは自分が辛い思いするだけ。

そしてストレスには注意、誰も幸せにならないですよ!


尊敬している方からの助言をふと思い出した。


私は自己主張が強い割に、自己犠牲もいとわない。

というか犠牲になっていることに気づくことすらあまりない。

勝手に責任感を感じて、勝手に頑張りすぎて勝手に疲れていく。


…でも確かに、これじゃ誰も幸せにならない。


ふとそんなことを思い出しながら、本を読んでいて分かった。

「自分自身が救われていないのに、世界は救われるだろうか。」

世界となると大きすぎて分かりづらいけど、その世界が、

家族や友人、大切な人だったら良く分かる。

自分自身が救われていないのに、家族はそれを見て幸せと

思うだろうか。

そんな人が自己犠牲を払ってまで何かをしてもらうことに、

喜びを感じるんだろうか。 Non.


しかし振り返るとそれを必死にやっている自分がいた。



今、そんな色々を考え立ち止まる時期なのかもしれない。

過去は過去。未来は過去の幻影ではないのだから・・・。

2008/10/17 (Fri)
皇居を走ってきました。

ブームのままにたまに走るのですが、

今回は体力が落ちているけれど、体重も落ちている。

さすれば、走れる…?

と思って走ってみましたがやはり1周5キロで精いっぱいでした。。


でも誘ってくれた友人は、何よりもそんな私を分かっていて、

そして心配して、心底叱ってくれた。


あんなに本気で叱られたの、いつぶりだろう。

涙がこぼれる落ちるのを必死でこらえて聞いていた。

それは悲しいからじゃなく、辛いからでもなく、

その言葉が涙が出るほど温かかったから。
2008/10/13 (Mon)

Nylon100℃(ナイロンヒャクドシー)の15周年記念、

「シャープさんフラットさん」

という舞台を、演劇の聖堂下北沢本多劇場で観てきました。

14335375.jpeg









http://sillywalk.com/nylon/sche.html

同じ演目(何かがちょっと違うらしい)を、全く違うキャストで組んだ

2チームに分かれて演じる、片方観ると、どうにもこうにも、

もう片方のキャストも観たくなる舞台です。ムズムズ。。


演劇にはテレビでも活躍する役者さんもちらほら登場していて、

観客にも、テレビやCMで活躍する人がちらほら。

友人に誘われるまま当日券で入ったものの、結構注目度の高い舞台でした。


内容は、バブルからバブル崩壊までの数年間を

とある施設で過ごした人々の人間ドラマ。


とは言えシュールな場面はあれど、ところどころに大爆笑の演出。

最初の一発目から、怒涛の大爆笑~。

気を抜くと置いていかれるテンポの良さに、ファンの心をつかむ理由を

垣間見ました。

そして生身の人間が演じる緊張感と、ちょっとした間を察する観客の空気が、

なんとも言えない臨場感で、舞台は同じ演目を何度も観たくなる衝動に

今回も駆られてしまいました。

しかしあの一瞬の空気の変わり方を察しているのは、どこの感覚なんだろう?


とはいえ、このタイトル「シャープさんフラットさん」というかわいらしくも

意味不明のタイトルは何だろう・・・?と思っていたら、舞台の後半で

やっとわかりました。そしてすごくこのタイトルが好きになりました。

舞台のストーリーに直接は関係ないので、書かせていただきます。

でももし、これから観にいかれる予定の方は、、、お任せします。


登場人物が小学校6年生の時に書いた作文のタイトルで、

「音楽の時間にみんなで歌を歌う時に僕はいつも音程が合いません。

なんでだろう?

でも同じように本当は、社会が音楽を奏でているとしたら、その音程に

合わせられる人っていないんじゃないかな?

半音高かったり(シャープ)、低かったり(フラット)みんなひとりひとり

違うから、社会が奏でる音楽に合う人なんていないんじゃないかな?」

っていうような内容の作文でした。


日本人て同調性はあるけれど、やっぱみんなひとりひとり違うよね!

そんな違和感、みんな持ってるよね!?って思わず納得してしまいました。

妙にそれを語るシーン、大好きでした。

 

2008/10/10 (Fri)
思い立って国営ひたち海浜公園に行ってきました。

http://www.ktr.mlit.go.jp/kaihin/



この時期は、コスモスとコキアと言う草が綺麗で、広大な敷地の中、

見ごろの花々を求めて人は集中し、海沿いのさわやかな風と

青い空に囲まれ、都会を離れた感触を全身で味わいました。

満開のコスモスは私の風邪っ鼻でも微かに香り、花に触れると

みずみずしい花びらがひんやりと、そして柔らかい触感で迎えてくれました。

触る、触れる、、ということに最近怠っていたなとつくづく実感しました。

触れると言えば、無機質なものばかり。

土や花に触れる大切さ、感じる大切さを妙に感じてしまいました。


以前、点字に凝ったことがあり、“読める”ようにはなったけど、

触っても分からない自分に驚きました。

いかに日常を視覚に任せて生きているのか。

ちょっと意識して過ごすのもいいのかも知れない。


2008/10/08 (Wed)
来年1月に結婚式を挙げる予定だった海外の友人から
一通のメールが届いた。


mon fiencé était dans un accident de moto, et il est décédé le 31 aout.
私のフィアンセがバイクの事故に遭い、8月31日に他界しました。

と。

・・・・・・・あまりに信じられず、何度もメールを読み返し、

知っているはずの単語を辞書で何度も何度も読み直し、

他の意味はないか?私の勘違いではないか?

そう願いながら何度何度読み直しても、

それでもなお、そのメールの内容は変わらなかった。


フィアンセが亡くなった。。

幸せそうな写真をいつも送ってくれていた

彼女の満面の笑みを思うと、涙がポロポロ流れてきた。

どうして、どうして・・・。

どうしてそんな酷なことが起きるのだろう。


人は、ひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいく。

そんなこと、理屈では分かっている。

でも生きているその間だけは、決してひとりでは生きられない。

いつも隣にいた彼女をどうして置いて逝ってしまうのか。

しかも何で今・・・。



死ぬとは何なのか?どういうことか?

そんな事を考え始めた18くらいの時にこの本に出会った。

「死にゆく者からの言葉」 鈴木 秀子著


著者が死を控えた人々の横で、そっと手を重ね、

言葉を交えず、そっとそこの空間を共有し、呼吸をそろえる。

静寂で、美しく、厳かなひとときの出来事が綴られている。

そしてふと、恐怖から解放され、死と向かい合っていく。


『人間というものは、たとえどんな人であろうとも、
 その人にとってマイナスだと思われてきたことが、
 あるいは一生の汚点であることが、最期の土壇場でひっくり返り、
 プラスになり得る現実を、この目でたしかに私は見たのです。[本文引用]』


人は死んでいくことで全てが終わるのではなく、

この人生での経験を、死を迎えることによって

改めて振り返る大切なひとつのプロセスなんだと思った。

ただただ悲しい出来事、として死を捉えるのではなく、

その奥にある深い深い意味を説いている。

そんな本だった気がする。


でも死にゆかれた者達にとって、心安らかに見送ることはとても難しく、

この今を生きることが、どれだけ辛いかも得体をしれない。


だから今はそっと、彼女を想い続ける事しか出来ない。

今はただただフィアンセの分も生きてほしい、そう心から願うばかりです。
プロフィール
HN:
miyoumu
性別:
非公開
自己紹介:
「ジュエリーの世界から世界をひとつに。」
をコンセプトに2009年「miyoumu」立ち上げ。
日本の絹糸やタイのカレン族シルバーやアンティークビーズなどを使って、シンプルで心地よいアクセサリー作りを志しています。

2-5歳パリ郊外、
23-25歳南仏Aix-en-Provenceで過ごした事で、
普段から自分が、そして自分の視点が日本人・アジア人であることを意識する。

そして今まで見てきた世界と生活してきた日本のそのお互いの良い所を融合したい。

更に、私があなたのために何が出来るか。
ではなくあなたが感じている何かを私なりに引き出す。

大学卒業後に働いたインテリア事務所で、そんな仕事に出会う。

渡仏後、ジュエリーonlineサイトで見えないお客様を相手に日々奮闘し、

2009年「miyoumu」立ち上げ今に至る。


※ご連絡はinfo @miyoumu.comまでお願いいたします。
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